大手広告代理店を早期退職した大学時代の友人の話

最近、仕事の醍醐味について考えてみた。ふと思い出したのは大手広告代理店を早期退職してしまった友人だ。今回はその話をしたい。社名は明かせないが社員の自殺・過労死・ブラック企業で問題になった会社の関連会社である。

今回の話の主人公である彼とは大学時代に知り合った。確かゼミナールの会議で喧嘩したことがきっかけだったはず。今思えば奇妙な縁だ。私も変人だが彼も変人の部類で、喧嘩を吹っかけてきた私となぜか波長が合うと判断され、それ以来仲良くなった。

彼は就職活動で広告代理店やマスコミ関連を希望していた。明治大学から野球部やラグビー部でもなく、まして親のコネクションもない中でテレビ局・新聞社・広告代理店に入社するのは不可能に近い。一学年毎年7000名いるが、明治大学から広告代理店に入社できるのは全学部学科を通して2~3名程度だ。(それもラグビー部やコネクション含めて)

無謀だとは思ったが、挑戦するのはいいことだ。ミーハーな部分もあるが、入社したい熱意は本物だった。たまに情報交換しながら就活の近況を聞いていた。本命の広告代理店に落ちたときは悲壮にくれており、まだ別の会社はあるよと慰めた。

彼は頑張っていたが、応募倍率や過去の入社実績を考えると絶望的な確率。私は彼の志望する業界でなくても、とりあえずどこかから内定がでてほしいと応援していた。彼の就職活動が気になっていたが、その後驚くことに綿密な企業研究と異常な執念と持ち前のバイタリティとコミュニケーション能力の高さで、なんと子会社の内定を獲得したのだ!

子会社と言えど上場企業レベルの売上高を誇っており、業界内の影響力も強い。採用予定人数が少ないことを考えると親会社同様に超難関である。聞けばここ数年で明治大学からその会社に内定をもらえたのは彼だけらしい。就職課(キャリアセンター)も騒然としただろう。内定後もOB訪問を繰り返すほどで、広告業界が好きなことが私にも伝わってきた。

内定先企業の年収を調べたりして「親会社に劣るとはいえ40代になったら年収1000万じゃん!勝ち組だよ!」とお互いイヒヒと笑いながら将来に夢と希望をもっていた。彼は他大学とのマスコミ内定者つながりも増え、学内セミナーにマスコミ内定者として呼ばれたりして残りの大学生活を満喫していた。無名企業に就職する私は学内セミナーに呼ばれることもなく、私は彼を見て羨ましく感じた記憶がいまも残っている。

広告(アド)ガール

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大学卒業後、私は東京に残ったが、彼は首都圏ではなく、地方都市の支社に配属された。入社1年目というのはどこの会社も覚えることが多く、連絡をとることさえも忘れてしまっていた。

ある日、久しぶりに連絡がきた。突然の連絡に驚きつつも電話にでてみると「会社を辞めた」と伝えられた。あれほど入社したがっていた会社を数年で辞めてしまうのは信じられなかった。その後東京で会ったときに退職理由を聞いたが「社内の足の引っ張り合いに疲れた」と言っていた。仕事内容も少し聞いたが、想像以上に厳しい世界だったようだ。

先行き不安定な中小企業と違って将来は安泰なのだから数年は我慢すればいいだろうとも思ったが、私にはわからない苦労があったんだと思う。地方に配属され相談できる仲間もいなかったのではないか。

ただ、入社3年もたたず辞めてしまって勿体ないと思った。社内の人間関係の問題で辞めてしまうことは会社側にとっても損失だ。

地元で広告代理店の営業女子はじめました (コミックエッセイの森)

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仕事の面白さがわかるのは2年後、3年後。10年後なのかもしれない。私も社会人10年目でようやく仕事の醍醐味がわかってきた気がする。仕事の醍醐味を知る前に辞めてしまった彼は我慢すべきだったのか、辞めて正解だったのかは誰にもわからない。もしも無理をして頑張っていたら自殺をしていたのかもしれないからだ。

彼が退職したあとに東京で1度あって以来、私の連絡不足もあり貴重な数少ない友人とは疎遠になってしまった。あれから10年。いまどこでなにをしているのか全くわからない。