今の20代はあまり知らないかもしれませんが、30代の私にとって日本代表GKのイメージが一番強いのは川口能活選手です。心に残る日本代表GK川口能活選手のベストゲーム2選をまとめました。
川口能活プロフィール
1975年8月15日生まれ、静岡県富士市出身。180センチ・77キロ。ポジションはゴールキーパー(GK)。清水商業高校卒業後、横浜マリノスに加入。その後、ポーツマスFC(イングランド)、ノアシャラン(デンマーク)、ジュビロ磐田、FC岐阜を経て、現在J3のSC相模原でプレー。4大会連続で4度のワールドカップ出場を誇る日本を代表するGK。
古参ファンから歴代最高ベストイレブンのGKに一番多く挙げられ、数多くのビッグセーブで日本のピンチを救ってくれました。いまだに愛されている選手であり、若い頃は端正なルックスから女性ファンも多かったようです。
1996年アトランタオリンピック
世にいう『マイアミの軌跡』。1996年7月22日、アトランタオリンピック1次リーグ第1戦、べベット・ロナウド・リバウド・ ロベルト・カルロスといった錚々たるメンバーを揃えたブラジル代表と対戦。ブラジルは1994年のW杯優勝メンバーだったFWベベット、MFリバウド、DFアウダイールを招集しており、優勝候補筆頭の「ドリームチーム」だった。
下馬評は日本が圧倒的不利。防戦一方の展開の中、当時20歳の川口選手の素早い飛び出しと堅い守備で相手の攻撃を凌ぎ、ブラジル相手に1-0の歴史的大勝利を果たした。28本にも及ぶシュートを無失点に抑え込んだ川口は、大波乱の立役者として大きく賞賛された。まるで「ボールのほうから当たりに来た」ようだった。しかし、チームはグループリーグを2勝1敗で終えるも3位となり決勝トーナメント進出を逃す。
当時まだW杯にすら出場したこともなかった日本が、世界最強の国から勝利を勝ち取った日本サッカー史上、最高のジャイアントキリングであり、日本サッカー界が世界に躍進する第一歩目になる出来事だった。
2004年アジアカップ
2004年7月31日のアジアカップ準々決勝のヨルダン戦のPK戦。当時28歳と、サッカー選手としての全盛期を迎える。一人目の中村俊輔と二人目の三都主アレサンドロが荒れたピッチ環境から続けて外してしまい、ヨルダンが2人決めたことで日本は絶望的な窮地に立たされる。
ヨルダン:〇〇〇××××
日本 :××〇〇〇×〇
お互いの3人目が終わった段階で「ヨルダンが2人連続で外して、日本が2人連続で決めなければ負ける」と誰が考えても負けが確定している状態になってしまう。しかし、この圧倒的不利な状況が川口の集中力を研ぎ澄ます。俗に言う「ゾーンに入った」状態となり、神懸かり的セーブを連発。このPK戦を制した日本代表は2大会連続のアジア制覇を果たした。この活躍で自身もベストイレブンのタイトルを獲得。
まとめ
神懸かり的セーブとも評される活躍で日本代表正GKとして活躍した川口選手のベストゲームを二つ挙げました。いま振り返ると極限の集中状態「ゾーンに入る」という言葉を最も広めた選手ではないでしょうか。
同ポジションの名選手では楢崎正剛、川島永嗣、西川周作がいますが、川口選手が一番好きです。一見地味なポジションが、始めてカッコいいと思わせてくれたのは川口選手ですね。
今の日本代表は世界トップレベルとの差が縮まったおかげで、一方的にシュートを何十本も打たれる試合はなくなりました。良いことではありますが、ゴールキーパーが奇跡的なセービングを連発できる試合はもう来ないでしょう。ほんの少し残念。いまだ現役生活を続けている川口選手を引退するまで応援し続けようと思います。