人類史での国際戦争と文明発達による国境と領土の壁

人類史について考えてみた。地球や動物からしたら国境は人類が勝手に考えて、勝手にルールを決めて、勝手に主張し合っている愚かな行為に映るだろう。

竹島問題も長い地球の歴史から考えると愚かだと言える。一部の種族が自然を自分たちのものだと主張する行為に地球は怒り心頭だろう。もしも地球が喋れるとしたらどうなるのだろうか。まぁ越権という言葉自体も人類が勝手に決めたものだからと何も思わないのかもしれない。

世界は広がった。しかし、世界は分裂した

よく近代史では世界は広がったと言われる。確かに昔と比べて簡単に世界の国々に行けるようになった。一方で、大昔のヨーロッパやアジアにはパスポートも不要で、もっと『自由』だったとも言える。

もはや人類に国境撤廃は無理。いまだ文化・風習・宗教の違いで民族紛争が起きている。そこには宗教や政治とか国家間の問題が山積み。これからさらに国々は別れ、世界は分断されるだろう。漫画『火の鳥』でも人類が宇宙に逃げる話があるが、100年後には現実になるかもしれない。

大空をみて、雲をみて、鳥をみて

航空機が発達してから空にも領域が発生した。誰のものでもないと表現される大空。それにも人類はお互いの国家と土地を主張している。将来的に地球外にも広がっていくだろう。月の土地を購入するサービスがあるが、あれも馬鹿らしいものだ。調べたところ火星や金星の土地も売っているらしい。

鳥は自由。彼らはパスポートをもっていないのに世界を自由に行き来できる。人間だけ自分たちで不都合なルールで制限をかけている。しかしながら、祖先であるサルの世界を見ても群れが存在し、コミュニティの中に序列が存在するため「知恵がついたから」こうなってしまったわけではないようだ。習性(文化)なのか本能なのか疑問が尽きない。

プロペラ機で世界一周してもいいじゃないか。なぜ誰かの許可が必要なのか。何も申請しなくてもいいじゃないかと思う時がある。自分の子供たちにも大人の価値観やルールを教え込ませ、自由な発想を奪ってしまっていると言えるが、これが人類の業(カルマ)と呼ばれるものだろうか。

しかし、自由過ぎるのも問題だとはわかる。パスポートがない世界は、知らない人がズカズカと自分の家に入ってくるようなものなのかもしれない。怖いし、嫌だ。

大学時代に教養科目だった文化人類学を思い出した。単位を取得したのは覚えているが、教授が何を言っていたのかすでに覚えていない。大学でもっと古人類学(こじんるいがく)を勉強すればよかったと思う。