『昭和元禄落語心中』感想:昭和の落語界を舞台にした人間模様を描いた雲田はるこの傑作

『昭和元禄落語心中』(しょうわげんろくらくごしんじゅう)は、雲田はるこ原作による漫画です。昭和の落語界を舞台にした噺家たちの人間模様と業を描き、関智一や石田彰ら豪華声優陣で2016年1月アニメ放送も決まった本格落語漫画を今回はご紹介!

『昭和元禄落語心中』とは

昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)

昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)

 

台は昭和50年代頃から物語はスタートします。刑務所を満期出所した元チンピラの与太郎は、1年前に慰問で訪れた落語家の八代目有楽亭八雲演じる「死神」を聞いて感動し、出所後そのまま八雲が出演している寄席に押しかけて弟子入りを申し出ます。内弟子をこれまで取っていなかった八雲は最初は断りますが、執念深い与太郎に押され、また彼なりの考えで与太郎に付き人として行動を共にすることを許すのでした。

本作は与太郎が八雲に弟子入りして奮闘する物語、八雲とかつてのライバルで同門だった助六との過去編、そしてその後の与太郎と八雲の現代編と三部構成からなっており、「ITAN」(講談社)2010年零号(創刊号)より連載中で単行本は8巻まで出ています。第17回2013年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞、第38回(2014年度)講談社漫画賞一般部門で受賞し『このマンガがすごい! 2012』のオンナ編で第2位になり、第17回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門では優秀賞を受賞。そして2016年1月にアニメ化が決まった作品です。

リアリティある描写や世界観

漫画なのに落語を聴いてるような感覚

漫画なのに、まるで落語を聴いているように感じる。表現力、描き方が素晴らしい。特に落語好きというわけではない自分でも世界観にすんなり入って楽しめました。是非より多くの人に読んでほしいおススメの作品。

出典: bookmeter.com

寄席は時々テレビでみて、あの目や手の動き、表情一つで色んな人になれて、魔法使いみたいだと思ったことがあります。漫画で落語の醍醐味が存分に伝わってきて、人情溢れるユーモアさと暖かさが感じられる作品。

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本作で凄いところは、人物描写もさながら落語を知らない人であろう読者にも「落語が今にも聞こえてきそうな、響きを感じさせる描写」があるところだと思います。ライターは友人がもともと落語が好きで数年前に連れられて行っただけで、TV番組で見る程度で落語にはそれまで興味がありませんでした。けれどなんとなく行ってみたら面白いんですね、これが!

TVで出ている漫才やコントも面白いけれど、大阪なんばグランド花月劇場でやっている吉本新喜劇の本公演前にあるベテラン漫才師のコッテコテの漫才だって面白くないわけがありません。グランド花月や他の劇場ではTVに出ない漫才師も登場しますし落語もあります。そこでたこ焼き食べながら、漫才見て落語聴いて新喜劇を観るのですが、面白いんです。

生の舞台は作られていない素のままのお客の反応を肌に直接感じられるといいますし、面白くなかったらそれこそ客は帰ってしまうのです。本作は、そういう舞台の奥行きのある面白さや世界を感じさせてくれますし、落語を聞いたことがない読者にも落語が聞こえてくるかのような素晴らしい描写で魅せてくれるのです。

音楽の場面をマンガや言葉で表現するのも難しいと思いますが、落語は言葉と身振り手振りで表現するものですから、それを漫画で表現するのですから難しいはず。それを明確に「面白く凄い落語」と「面白くなく凄さもない落語」を描き分けているのが『昭和元禄落語心中』の素晴らしさです。特に観客の目線から反応から落語の良し悪しを描き分けており、八雲師匠と与太郎の落語描写でそれがもののみごとに伝わってきます!

1巻の中盤辺りから「落語行きたい!」と思ってしまう作品でした。くどくもなくてとてもさらっと、でも強烈に落語の良さや深さを伝えてくれていました。衰退していく日本の伝統的なものに目が向くというのも気に入った点でした。

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「生の落語を寄席に行って聞きたくなる!」「落語が聴きたい」という声も多いです。うんちく好きの方からすれば落語の考証とかを突っ込んでしまうかもしれません。落語を取り扱ったマンガもこれまでも他にもあります。けれど「寄席に行って落語を聴きに行きたい」という声がいくつも挙がっている作品は、近年なかったように思えます。特に若い女性が落語に興味を抱くような作品はなかったと。作者のもともとのファンに女性が多いということもあるでしょうけれど、作品の魅力もあってのことだと思うのです。

落語の知識がなくとも面白い

落語について、知っていたらより楽しめるのだろうが全く知識のない自分のようなひとでも当然楽しめる作品です。ひとの描き方が上手く、とても魅力的なので決して明るくはない内容ですが引き込まれます。今後の展開で、落語の存在が時代の移り変わりによってどう変わっていくのか興味深く次巻を待ちます。

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本作では使われている落語用語などはすべて場面ごとに説明してくれて、それが苦にならず入ってくるように描写されています。落語を全く知らない人も興味深く、また落語をかじっている人にはさらに理解を深められるように、落語好きな人には頷ける場面が用意されていて脱帽させられます。

前座、二つ目、真打と普段馴染みのない言葉もすんなり入ってきます。また作品中に「宿屋仇」(やどやがたき)が出てくるのですが、これは上方漫才の名称で。江戸落語になると「宿屋の仇討」「甲子待」と変わるのですが、もとは上方で生まれたものが(上方落語で三代目桂米朝が得意とした落語です)が江戸ではどう違うのかなど、落語に詳しい人も納得できる細かい描写もあって楽しめる内容になっているのです。

一筋縄ではいかない一癖二癖もあるキャラクターたち

師匠・八雲が実に艶っぽい

八雲師匠がしびれます。小夏に対しての厳しさ、与太郎への指導。また、女性を演じるときの艶っぽさは絶品ですね。八代目ーッ!待ってましたァーッ!と叫びたくなりました。

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この師匠、お歳を召した偏屈なオッサンなのに漂う色気が凄い。今は亡き盟友の娘という、ポジション的にはヒロインに成り得るはずの女人がどうでもよくなるくらい、圧倒的な艶を見せつけてくれます。

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読者から色っぽいという感想を多く得ているのがこの八雲師匠。こと落語になると圧倒的な厳しさと艶と色気を感じさせてくれます。特に女性を演じさせたらこのうえない。1巻の其の二で歌舞伎でも有名な「応挙の幽霊」の幽霊となって掛け軸から抜け出る女を八雲師匠が語りますが、その仕草が本当に男とは思えない!偏屈おじさんという印象がガラリと変わって、そこらあたりの女性も顔負けの色と艶で落語の世界に引き込んでくれるのです。

これは原作の雲田はるこの描く作画の巧みさもあるのかもしれません。八雲師匠が襲名前に名乗っていた菊比古時代の姿も美しいのですが、年老いた師匠の姿がシンプルなコマ割りとほどよく混じり、かつ色っぽいのです。

そして老いた師匠の視線、手や首の傾け方などの仕草が、八雲師匠自身の繊細さを感じさせる雰囲気と合わさって、人の色気というものを読み手の前にドンと押し出してきます。八雲師匠は年老いてもクールなところは変わらなくて(そっけない振りをしているのかもしれませんが)そのクールさがまた一層色気を引き立たせている気がします。高座が終わると偏屈なおじさんに戻りますが、洋装の時は洋装の時でまた美しいんです、これが!洋装のときにヤクザに睨みをきかせる場面がありますが、美しくてカッコいい。

また孤高の天才・八代目有楽亭八雲と称される彼は、感情をあまり表に出さない人物です。弟子を取らないことでも有名で、今まで弟子入り志願をしてくる人間がどんなにいてもけんもほろろに断ってきたのですが、何のきまぐれか得体もしれない男・与太郎を弟子に迎えたことで、周囲を激しく動揺させます。

今まで弟子を取らず、落語と一緒に心中するとまで行っていた八雲師匠。なぜ彼が与太郎を弟子に取ったのか、読者は疑問に思うのでしょうが、その理由も後にわかります。その理由でただただ人嫌いの落語家ではないのだとわかり、ますます八雲師匠の魅力にハマり、そしてこの師匠をもっと知ってみたいと読みながら思ってしまうのです。

天真爛漫で可愛い与太郎

昭和元禄落語心中(2) (ITANコミックス)

昭和元禄落語心中(2) (ITANコミックス)

 

 刑務所の慰問落語会で聞いた八雲師匠の「死神」が忘れられず、出所してそのまま八雲師匠を待つ車のところまで出向いて拝み倒して弟子となるチンピラの強次。強次は不思議な人懐っこさと明るい性格で「与太郎」と呼ばれ、なんだかんだと周囲の人々にも可愛がられる存在になっていきます。

落語をかじった人はニヤリとされるでしょうが、この「与太郎」という名前も、実は落語に出てくる架空の人物名です。江戸落語・上方落語を問わず様々な落語で登場する「熊さん八っぁん」と並ぶ代表的な落語の登場人物だったりします。またその性格が呑気で楽天的で、何をやっても失敗ばかりするために周囲の人間から助言をされることが多いという爆笑ものによく登場人物なのですが、それが本作でもピッタリ!

 

その天衣無縫な性格ゆえに相手の懐に入るのも絶妙。そして単なる暢気ものでもなくて、時にはズバっと相手の真理を突いたり、義理堅く、素直で与太郎の周囲は笑いが絶えません。人を寄せ付けない八雲師匠とは正反対の若者なのです。

与太郎はどんなに八雲師匠が厳しいことを言っても、師匠の落語にとにもかくにも惚れこんでいで、決して落ち込むこともなく明るく受け止めて常にポジティブなので、読んでいると見習いたくなる気持ちにさせられます。

生まれ持った落語の天才であり異端児の助六

昭和元禄落語心中(3) (ITANコミックス)

昭和元禄落語心中(3) (ITANコミックス)

 

二代目有楽亭助六。故人で、八雲のところに住んでいる小夏の父で8代目八雲とは同い年、同日入門の間柄という人物です。「稀代の天才」と称され人気を博したこともありましたが、伝統を重んじる古典落語の世界とはあまりに型破りすぎる落語をするため、協会上層部や評論家からの評価は高くはありませんでした。師匠にもらった紋付きまで質入れする、女にはだらしがない、大師匠の落語に平気な顔でケチをつける、などなどすべてが破天荒な男なのです。

八雲と暮らすわけ有り姉さんの小夏

昭和元禄落語心中(7) (ITANコミックス)

昭和元禄落語心中(7) (ITANコミックス)

 

 

小夏は八雲の養女で、2代目助六とみよ吉のひとり娘でした。両親の死後、8代目八雲に引き取られた経緯があります。何かと尖った態度で言葉遣いも荒い女性ですが、チンピラまがいの助六に大好きな父親の落語を教えてやったり、八雲師匠の逆鱗に触れたことで一時助六が破門になった際も元気づけてやったりする優しい一面も持ち合わせています。いろいろと理由があって、父親と母親が死ぬ原因になったと八代目八雲から聞かされているため、八雲のことを親の仇と思っている節があります。

なぜかBLっぽいという評価も

原作者がBLも描いているためBLの匂いがするという意見も

非BLらしいですが、八雲師匠が色っぽ過ぎて腐のにほいが~~~。

出典: www.chil-chil.net

なんとなくBL臭がするのは気のせいであって欲しいなぁ。

出典: bookmeter.com

『昭和元禄落語心中』の作者である雲田はるこはBL漫画家としてデビューしていて、2作目コミックとなった『野ばら』で「このBLがやばい!2011」にて3位にランキング入りしています。また寡作ながら『新宿ラッキーホール』や『いとしの猫っ毛』などかなり高い評価をされているBL作品があるため、本作もBLかと思って最初読み始めた方も結構いたようです。

本作は非BLと認識されてはいるものの、娘の小夏や元芸者のみよ吉なども出てきますが、鍵となる人物は男性ばかりなので、BLっぽいと感じる方も多い様子。二代目助六が女好きで男っぽくて、どちらかというと女っぽい八代目八雲師匠なので、余計にそう感じるのでしょう。

また雲田はるこのBLコミック、そしてこの『昭和元禄落語心中』にもあるのは、「本当に実在しているのではないか」と思うような存在感が登場人物にあること。どの作品にも身近で人間臭い人々が出てくる気がします。

ちょっとひねくれた影のある師匠、終始ニヤニヤして人懐っこい男、破天荒な男、ジーンズ履いて煙草吸って言葉の悪い意地っ張りな女性、過去をゆすってくるヤクザもの……と、自分の周りにはいなくても、昭和の復興時代にどこか街の片隅で生きているような息遣いを感じさせるのが、雲田はるこのマンガにはあると思うのです。だからBLにも本作にも身近さ、存在感、リアリティがあるのだと思います。

八雲と助六。二人の男の戦前から昭和篇

水と油のように真逆な二人

昭和元禄落語心中(9) (ITANコミックス)

昭和元禄落語心中(9) (ITANコミックス)

 

本作は強次が八雲師匠のところで弟子となって歌舞伎座で失敗して一瞬破門されるまでを単行本第1巻から第2巻に描いた「与太郎放浪編」、それから過去に戻って戦前から昭和30年代頃、七代目八雲に弟子入りした若き日の八代目八雲こと菊比古と、小夏の父で彼の同門であった助六こと初太郎の出会いと日々を第2巻から第5巻に描いた「八雲と助六編」、そして昭和末期から平成初期頃を三代目助六となった与太郎と八代目八雲の日々を「助六再び編」が第5巻から描かれています。

「だらしないけど天才・生真面目な秀才」って鉄板の組み合わせです

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助六は天性の人、八雲は努力の人

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菊比古と初太郎。二人は共に同じ日に入門し七代目八雲の弟子となるのですが、師匠が一人が曇れば一人は晴れていて正反対な二人だと評したように、本当に水と油のように正反対です。同じように帰るところがない境遇なのに初太郎は笑っていられる性格をしていて、菊比古は自分の境遇を思って泣いたりしてしまうのですから。

人間としても前向きで魅力を感じる初太郎ですが、自分の落語を探している菊比古にとっては初太郎の落語も嫉妬するほど魅力的です。焦燥感を感じる菊比古の気持ちが痛いほどわかります。着物からきちんと着こんで寄席に立ち、派手な女遊びもしない菊比古なのに今一つ華がなく。

格好なんてどうでもいい、ボロを着てて客が帰るならそんな客なんてこっちがお断りだ、女遊びだっていつするんだ、全部が芸の肥やしになるんだという考えの初太郎のほうが華があって客受けがいい。皮肉的だなあと思いますし、芸においては真面目であることが全てではないということをちょっと教えてくれます。

この二人の男の落語の描写の対比が面白い。これは読んでいただいてどちらがお好みか考えていただくしかないのですが、初太郎は菊比古が嫉妬するような天才であることはなんとなくわかります。努力をしているのは菊比古ですが、お客の心を早くから掴んでいるのは初太郎なのだなとすぐにわかります。戦後から二人の少年が青年になって時代を駆け上がっていくまでが淡々と、そして人物に体温を持たせるようにじっくりと描かれています。

目指すものが違う二人の岐路

全くタイプの違う二人だけに、惹かれあうものがあるのか。みんなのための落語をやりたい助六と、自分が自分でいるための落語をやりたい八雲。二人とも落語は好きだけど、目指すものが違う。だけど落語を盛り立てていこうという気持ちは同じ。繋いでいくということは、どこの世界も難しいな。

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初太郎の背中をずっと追いかけていた菊比古と、自分が思うまま生きている初太郎。先に自分の落語を見つけていた分、初太郎は強かったのかもしれませんし奢りもあったのかもしれません。初太郎は戦争中に満州にいた際、何度も死線を乗り越えた経験があり、何度も死にかけては兵隊の前で落語を聞かせていたのです。その時に心から笑ってくれている顔を見て、人のために落語をやる、と決めていました。

けれど菊比古は、足を悪くしていて杖をついているために戦争には行っていません。だから初太郎のように、人の為に落語をやる、という気持ちにはなりません。菊比古が健康で初太郎と同じような死線を越えた経験があればまた違ったのでしょうが、それは彼には到底理解できないものだったろうと思います。

何のために落語をするのか、菊比古は自問自答しながら寄席の舞台に立ちます。そこで菊比古は悟ります。自分の居場所を作るため、ここにいてもいいのだと思うため、自分が自分でいるための落語なのだと。人のため、と自分のため。ここで二人の男は行く道が分かれていくのを悟るのです。

辛くて何度も止まりながら読んだ。そうしか生きられなかったのだろうけれど、それぞれにもうちょっと余裕があったら、また違う道があったのでは無いかと思わずにいられない。まったく。莫迦なんだから…

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どうやら助六は破滅型の天才だったようです。

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初太郎は確かに落語の天才ですけど、破滅型の天才なのだという意見が多いです。才があるばかりに突っ走りすぎて破滅していってしまうのだと思います。

古い伝統を受け継ぐ落語の世界。けれどそれだけでは初太郎は満足できません。いつの時代もお客に笑ってもらえる噺がしたいと思っていて、TVが出てきたためにこれから落語も変わる時代を迎えるだろう、寄席に人が来なくなる時代も来るかもしれない、と先を先をと見ている初太郎と、見えない先よりも人の和をまず考え、伝統に縛られている7代目八雲師匠とは相容れられる関係でなくなっていくのは世代差もあるのでしょうが、初太郎という人間の個性がそうさせてしまうのでもあると思います。

誰よりも、おそらくは菊比古よりも才能があったであろう初太郎ですが、真打昇進後に芸の方向性の違いから7代目八雲師匠と対立して最後は破門されてしまうのですが、そうなってしまうのも決して驚くことでもない気がします。悲しいかなこれまでの初太郎の行動を見ていると、遅かれ早かれやってきたことなのだろうと思えてしまうのです。

天才ゆえに破綻してしまう初太郎。落語家でも漫才師でも芸人でも、師匠と喧嘩したり酒に溺れたり、問題児に限って天才肌の方がいて、ちょっと思い浮かべてしまう人が数人はいます。中には悲しい末路を辿った方も実際にいますのでそういう方たちを思い浮かべると、初太郎が早逝してしまったことにも悲哀を感じてしまいます。

一人の女が二人の男の運命を分かつ

昭和元禄落語心中(4) (ITANコミックス)

昭和元禄落語心中(4) (ITANコミックス)

 
当時の女の生き方としては致し方なくもあり、みよ吉の気持ちも分かるけど、それでも強く凛と生きる道もあるわけで、男に寄りかからずには生きられないみよ吉がこの先二人の運命を翻弄するのだと思うと、とても共感できなくて。

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女って恐い

出典: bookmeter.com

今作の物語の中で、菊比古と初太郎の間に深く関わってくる女性が、みよ吉という女性です。女遊びは芸の肥やしというのは芸人の世界でも当たり前のようなことのようです。上方でいえば遊んでなんぼ、芸のためなら女も泣かすという感じになるでしょう。

みよ吉は最初は七代目八雲と一緒にいた芸者でしたが、菊比古に接しているうちに菊比古に惹かれていきます。けれど、菊比古は遊び人でもなく元来頭が固い人間ですので、所帯を持つような女ではないから別れてしまえと師匠に言われてしまえば、たとえみよ吉のことが好きでも別れてしまえるくらいの想いでしかありません。逆に情に厚くて泣いてる女性を放っておけない男が初太郎。

この二人の男の間に入ってくるくると回って生きてしまったのがみよ吉です。芸者にならざるをえなかったみよ吉の人生も悲しいものがあります。菊比古と初太郎には落語がありましたが、彼女には芸者しかなかった。芸者の人生が悲しいのではなく、男も女も自由に生きられる時代がもうそこまで来ているのに、依存して生きることしかできないみよ吉の生き方が実に悲しいです。みよ吉を見ていて、選択肢がいくつもある時代に生まれることができたというのは幸せなことなんだなと痛感させられます。

そして女は怖いという意見もあります。女一人で男二人の運命が変わってしまうのですから、やはり怖い生き物なのですよね、女って。翻弄されてしまう男たちが弱いのかわかりませんが、女というものの怖さや弱さを、女の業というものをみよ吉は読者に教えてくれている気がします。

「助六」という名前に隠された真実

そして師匠の死、その前に明らかになる師匠の助六をめぐる因果。

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初太郎は破門を言い渡されて、八代目八雲を継ぐのはおまえだと師匠に言われる菊比古。けれど、自分より天才な人間は初太郎であるとわかっている菊比古からすれば、重い名前です。けれど初太郎は戻ってきませんし、師匠は師匠で譲りません。

そんな中、師匠が高座で倒れてしまいます。そこで初めて明かされる、師匠の胸の内にあったものの重さや初太郎との因縁に驚かされます。これはあえてここでは語らず、まずは原作を読んでいただけたらと思います。

三代目の助六と八雲。昭和末期から始まる弟子と師匠の日々

昭和元禄落語心中(10)特装版<完> (プレミアムKC)

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背負う「八代目八雲」の名前の重さ 助六が死んで八雲を襲名する流れはこの名前の重さを一層感じられてとても良かった

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口伝の芸には、文字では記すことの出来ない想いが宿っているのだと感じました。だからこそ私たちはそれに触れるとき、言葉にならない想いが込み上げてきて、戸惑いと熱に浮かされるのだと思います。護りたいものがあって、護る力がなくて、許されたくて、許されたくなくて、過去を引き継ぎたくて、未来をつくりたくて、この苦悩が彼を生かし続けます。落語を生かし続けます。

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紆余曲折があり、田舎で暮らしていた初太郎とみよ吉は亡くなってしまいます。そして七代目八雲も亡くなってしまい、寄席自体も一つまた一つ消えていく厳しい時代の中、菊比古は多くの師匠たちが築いてきた落語界を背負って立たねばならぬ位置まで来ていることを、落語界会長に指摘されます。

何もかもを背負い、そしてそれを成仏させるのは自分しかいない。そう覚悟を決めて八代目八雲を襲名すると決めた菊比古の背中がとても切ないです。本当だったら彼の傍らには助六となった初太郎がいるはずだったのですから。名前を継ぐ、という重さがわかる人も、これからの夢を語る人も、彼の周りには誰もいないのですから。またそのつらさを語らないからこそ、今の八雲師匠の芸にも繋がっていったのかなとも思えます。

たった一人背中を向けて歩く八代目八雲となった菊比古。そして次に八雲と、時間が経過して丸刈りになった与太郎が登場して三代目助六となる昭和末期編からの「助六再び編」となっていくのですが、その流れがとても自然です。 真実が明かされた後に続くもの

昭和末期編から、怒涛のように日々が過ぎていきます。小夏の出産、与太郎と小夏の結婚、与太郎が真打になって三代目助六を名乗るようになって。年老いていても相変わらず八代目八雲師匠はツンツンと尖っています。助六となってますます人気が出て、高座は満員御礼の札がかかるほどになりました。

とある日、歌舞伎座で親子会の話をもらったという八雲師匠に、「居残り」(居残り佐平次、古典落語の演目のひとつ)をやると助六は言います。自分の落語が何なのかわからないという助六は、八雲師匠の言う落語とは違うとだけは感じていて、空っぽのままで演じてみたいと告げるのです。そして親子会の日がやってくるのですが、八雲師匠が高座が終わると同時に倒れてしまうのでした。

明かされるみよ吉と助六の真実。背負ってきた師匠だからこそあの頃みたいに楽しんで落語をしてほしいな。

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過去を歪め全てを背負いこむ八雲。年を重ね自分の落語が失われる中で、過去を背負うことへの疲れと諦めが、とてもよく描写してある。八雲が今後、どう人生の選択をしていくか?与太郎と八雲がどう落語と向き合うか?次の展開がとても楽しみ。

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倒れた八代目八雲師匠は一命を取り留めましたが、落語をやめると言い出します。ひょんなことから二代目助六のフィルムを見ることになる三代目助六。ここで小夏の親でもある助六とみよ吉の死の真相について三代目助六は知ることになります。それは、八雲師匠から与太郎が聞いていた出来事とは違うものだったのです。

なぜ自分の代で落語が終わればいいと八代目八雲師匠が思っているのかが、明らかになっていきます。悲しい過去に隠された八雲師匠の心。彼はずっと一人で何もかもをも背負ってきて、生きることにも落語をすることにも疲れきってしまっていたのでしょう。心底疲れ切ったという八雲師匠の姿がとても痛々しく見えて仕方ありません。ライターは何も知らないで悪態をついている小夏がとても憎らしく感じました。けれど、小夏が産んだ子供が八代目の落語への心を繋ぎとめてくれるならまあいいかと思い直した場面でもあります。

まとめ──2016年からのアニメ化も楽しみ!

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やりたくなったら またやりゃいいだけで こんなもん それまでいくらでも八つ当たりしてくだせえ

出典:雲田はるこ(原作) 漫画『昭和元禄落語心中』第八巻 其の十一 by 三代目助六

生きていくって難しい。抱える過去と老いへの恐怖、師匠はどうなるんだろう。

出典: bookmeter.com

雲師匠の衰えへの恐怖がひしひしと…そして助六が亡くなった本当の事情を知った与太郎。先がどうなるのか気になります。

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落語なんてやりたくなったらやればいい、いつまでも自分に八つ当たりしてください、と明るい三代目助六の言葉でヘナヘナと座り込む師匠の姿で8巻目は終わっています。もう落語は辞めると思っている八雲師匠が、三代目助六、小夏、そして小夏の産んだ男の子である信乃助、そして周囲の人々の思いにどう応えていくのか。まだまだ原作は続いています。

老いというものはやはり良いイメージがありません。声が出なくなってしまう、滑舌が悪くなるなど老いの怖さを感じ始めた八雲師匠ですが、若い三代目助六とは若さでは勝負できませんから。芸一筋で孤独に生きてきた八雲師匠がこれからどうなるか、不安を期待の声がいっぱいですし、真実を知った三代目助六のことも気になるという声も多いです。

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  • 発売日: 2016/03/23
  • メディア: Blu-ray
 

そして2016年1月からは、この『昭和元禄落語心中』がアニメとなってスタートします。キャストは八代目八雲に石田彰、三代目助六こと与太郎に関智一、小夏に小林ゆう、二代目助六に山寺宏一、みよ吉に林原めぐみという豪華なキャストが待っています。小夏役の小林ゆうは落語が大好きで故・立川談志のファンで2012年には落語CDを発売していたり、山寺宏一は大学時代は落語研究会に在籍していたのですから、もうこれは見逃せないアニメの一つになりそう!OPは歌にも定評がある林原めぐみが歌うらしく、作曲は椎名林檎だとか。

まして八雲師匠は石田彰なのです。あの艶と色気は石田彰にピッタリという声がもう挙がっています。またドラマCDが同じキャストで制作されており、こちらでは石田彰演じる八雲師匠の「死神」と与太郎の「出来心」の落語が早くも聴けるという贅沢な音楽CDになっています。

原作はどうなっていくのか。そしてアニメ化もとても楽しみなこの『昭和元禄落語心中』。ちょっと気になられましたら、ぜひ原作を読まれてみて下さい。八雲師匠たちの粋で艶で爆笑満載な高座が貴方をお待ちしています。