社会人1年目に読んでほしい入社時の気持ちと振り返りの記事

毎年この時期になると読みたくなるコラムがある。社会人1年目の気持ちを思い出すために。自分自身が社会人らしくなったと感じたのは社会人4年目くらいだった。

思えば私の夢は「社会人」になることだった。「自分でお金を稼いでもいないのに何言ってるの」母とのケンカはいつもこのひと言で終わってしまう。私は一日も早くこの言葉から逃げたかった。 大学四年の春。久しぶりに学校で会う友達何人かに「どこに留学してたの?」と聞かれた。海外旅行や短期留学によく行っていたわたしは、就職よりも留学をするのだと思われていたみたいだ。留学はしないの?と聞く大人に、「早く働きたいんです」というと珍しいね、えらいね、と言われた。 留学に興味がなかったわけではない。でも別に何かになりたかったわけでもない。 「お金は大丈夫?」と親からたまに電話がかかってくる。働き始めて半年。安月給だ、と心配していたお給料も一ヶ月生活するには意外と十分にあって、ちゃんと「自分で」暮らせている。 朝は六時四十五分の電車で会社に向かう。あんなに朝寝坊だったわたしの体も、先輩が言っていたように「慣れた」らしい。休みの日でもハッと目が覚める。電車の中ではスーツを着た人の半分くらいが寝ている。わたしもよく寝る。電話が鳴ったら誰よりも早く出る。先輩から呼ばれる。「これ注文しといて」「コピー機のインク切れてるよ」「テーブル汚れてたよ」「これ、コピーとってきて」 毎日の残業に見かねた上司に呼ばれる。「もう一人雇ったほうがいいなら雇おうか」 帰りの電車の中でも半分くらいの人が寝ている。行きよりも口をだらんと開けている人が多い。わたしもよく寝る。電気がついたままの部屋の中でハッと目が覚める。朝だ。急いでシャワーを浴びて、六時四十五分の電車めがけて走る。ぎりぎりで間に合ってほっとする。 二年目の先輩に、わたしが仕事が遅いのはわたしの効率が悪いからだろうかと最近相談した。「あと半年で新入社員が入るね。そうしたら鈴木もだいぶ楽になるよ」その言葉を聞いても全然ホッとしなかった。むしろ、ああ、そうか、と思った。 やっぱりわたしは、わたしではなくてもいい仕事をいままでしていたのか。自分がしなくてもいいと上の人が判断した仕事が下のわたしに任せられていたのか。それでは自分の上にだれかがいる限り、わたしはいつまでも誰かに操られるのか。 とりあえず三年は働きなさいと泣き言をこぼしたら世間は言うけれど、三年先でも一〇年先でも、これは変わらない。 帰りの電車に乗ると、飲み会帰りだろうか、きゃっきゃと楽しそうな大学生が、口を開けて眠る大人の中でひときわ目立つ。レポートが面倒くさいと言い合う彼らを見ても、わたしはうらやましいとも戻りたいとも思わない。彼らの方が楽だとも思わない。 わたしの夢だった「社会人」にわたしはまだなれていない。どうしたらなれるのか考えてはみたけれど、よく分からなかった。とりあえず来年の新入社員の子が入ってきたら、コピーは自分でとりにいこう、机も一緒にふこう、まだ誰もいない会社の中でコピー用紙を補充しながらそう思う。

フリーペーパー「静岡時代」20号(2010年10月発行号)

働きマン(1) (モーニングコミックス)

働きマン(1) (モーニングコミックス)

 

静岡県立大学出身で旅行代理店に就職した女性が書いたらしい。この記事から7年以上が経過しているが、いまどこで何をしているのか。後輩から慕われる先輩になっているかもしれない。結婚して幸せな生活をしているかもしれない。育児に悪戦苦闘しているかもしれない。そんなことを思った。

10年以上働いていると新卒1年目のときのことなんか忘れてしまいがち。そんな人にもおススメしたい。ビジネス本ランキング上位にあるようなお金(マネー)関連や自己啓発も大事だが、もっと大事な何かを気づかせてくれる気がする。「仕事とは」「働くとは」を一番考えていたのは1年目なのかもしれない。このコラムはそれを思い出させてくれた。

毎年4月になると繁華街や駅周辺で飲み会帰りの新入社員のグループを見かける。スーツが似合っていない彼らだが、数年後には立派な社会人になるのだろう。