中学校時代、皆勤賞でした。ネットでは感染症や伝染病など無理に出席するリスクについて書かれている記事が多いですが、皆勤賞をとった立場から振り返る記事がなかったので、ここでは「皆勤賞の意味と効果」について、皆勤賞をとった立場から20年越しの感想をまとめたいと思います。
皆勤賞とは
皆勤賞(かいきんしょう)は、主に学校、会社、もしくは何かしら継続している労働・作業などを1日も欠席せずに登校・出勤すると貰える賞である。転じてそれをもらった者、大会などに毎回参加している者のことを言う。
引用:ウィキペディア
皆勤賞にも様々なタイプがあるようで、遅刻や早退がダメな学校もあるようです。私がいた学校は遅刻や早退はカウントされませんでした。ちなみに私は数分程度の遅刻常習者でした。
私はまだ優しい部類で、同じクラスに3年の3学期は毎日遅刻・早退の常習者だったヤンチャな人間も皆勤賞をとっていて、担任が苦笑していました。私も高校が決まった後の卒業式までの期間はあまり学校いっていませんでした。それでも皆勤賞とれました(;・∀・)
>病気や事故にも遭わず皆勤を続けることは名誉なことである。
名誉なことなのか?当時からこの価値観には疑問がありました。
>高校推薦のメリットになる。
当時一番よく言われたのがこのセリフ!このセリフは何の確証もない!確かに推薦において有利に働くメリットは理解できますが、休み過ぎでない限りそれほどのメリットではないと感じました。応用編で「大学推薦のメリットがある」があります。
最近の学校事情
地域にもよると思いますが、昔ほど「無欠席が正義」ということがなくなっているようです。最近の親世代が「休みたければ休めばいい」と考え方が多くなってきているせいだと思います。
学校の姿勢も多少は変化している可能性もあります。昔よりもインフルエンザで学校閉鎖(というニュース)が多くなった気がします。ちなみに私は幼稚園・小学校・中学校・高校と学級閉鎖(学校閉鎖)は一度もありませんでした。
学校側も「おたふく風邪の子が学校に来たせいでクラス全員に感染して、学級閉鎖になった」とニュースにされたくないはずです。特に義務教育である小学校や中学校は敏感でしょうから、昔ほどは皆勤賞を重要視していないかもしれません。
中学時代に皆勤賞がとれた理由と周囲の状況
私よりも親が皆勤賞を狙っていました。ちょっと体調悪いときは「車で送り迎えしてあげるから出席しなさい」と言われました。学校の出席時間1分。マジで無意味だった。
身体は本当に丈夫で、3年間基本的に元気。ただ常に学校に行きたくないと思う日々。(憎い…、なぜ俺は病弱じゃないんだ…)と無駄に丈夫な肉体を呪い、血反吐を吐いて倒れたいと毎日思っていました。
得られたもの
卒業式の日に表彰状を1枚授与されました。当然ながら飾るどころか卒業式以来見ていません。今はどこにあるか不明です。自分にとっては無価値。これ何の罰ゲーム?(´・ω・`)
皆勤賞の反動
中学時代にガマンしまくっていたせいで、大人になってからあまりガマンしなくなった気がします。例えば学生が茶髪にしたら「大人になったら好きなことしていいから、今は我慢しなさい」とよく言われると思いますが、その言葉をそのまま実行している感じですw
一番ひどかったのは大学時代。学校に行かなくなりましたが、人生の中で一番至福の時代だったと思っています。
「中学生時代から我慢を経験すると、大人になっても我慢できる人間になる」という考え方の延長戦のもと「中学生時代に真面目に登校すれば、大人になっても真面目に出社できる」と皆勤賞を奨励している学校や先生がいます。
しかし、そのような考え方は逆効果で、中学生時代から我慢を経験すると、大人になったら『もういいでしょ』と我慢しなくなる人間が出来上がります。
自分の子供にしてあげたいこと
自分の経験から子供には絶対に皆勤賞を狙ってほしくないです。「不登校にならなければOK」「学校が嫌なら好きに休んでいいよ。その代わり学年成績はキープしてね」って言ってあげるのが私の夢です。
まとめ
皆勤賞は全く意味がない。廃止する必要はないが、無理してとっても意味がない制度です。グーグルやヤフーの検索結果では皆勤賞のデメリットとして、集団インフルエンザや伝染病など皆勤賞のリスク面ばかり書かれていますが、我慢させすぎると、人間的に歪曲した人間ができるという学校では教えてくれない教育面でのリスクについて書いてみました。
無理して出席してもストレスになるだけです。